小学生のころ、Yの家に遊びに行った。会いにいったというよりは、彼のファミコンがお目当てだった。 
 親父さんが玄関先で出迎えてくれた。あいにくとYは外出中らしい。 
 おれはまた来ます、と言い残し、帰ろうとしたところを親父さんに呼び止められた。 
 「A君(おれ)、Yとゲームするつもりだったんだろ? よかったら、おれに付き合わないか。一緒にファミスタしよう」 
 社交辞令ではないような彼の笑顔に泥を塗るのは悪いような気がして、おれは気が進まないまま靴を脱いだ。   
 親父さんは滅多に自宅に帰ってこない。海外へ行き来する大型船の船長を勤めているからだ。半年は勤務に明け暮れ、 
 休暇の1ヶ月ほどしか家に滞在せず、また船の仕事に出かける。こうしてカチあうのはめずらしいことだった。 
 Yの部屋にはパリッと正装した親父さんとYが並んで写った写真が飾られていた。   
 親父さんは船の勤務から外れると、ファミスタが異常に強かった。家族サービスの一環でYと対戦ばかりしている成果だろう。 
 おれも当時はゲームなれしていないせいと、少年野球をしていたくせに、どちらかというとシューティングにしか興味がなかった 
 こともありファミスタは得意じゃなかった。Gチーム率いる親父さんの投げる球を、ことごとく空振りしてしまう。 
 守備をやってもまるでガタガタだった。点差は広がるばかり。 
 「どうしたA君、これでは退屈だぞ。Yが相手ならコテンパンにやりこめられるかもな。この際だ、おれが練習台になってやる。 
 しっかりボールをよく見て打つんだぞ」と、優しく言ってくれるものの、まるで上達の見込みは薄かった。 
 勝負は容赦なかった。たとえコールドゲームになろうとも、甘い投球はしなかったし、攻撃的な打撃と情け無用の走塁を 
 されまくった。 
 「勝負は非情だよな。おれはこうして、息子にモノを教えている」 
 「はい……」 
 おれは思った。ダテにこの人は船乗り……ましてや全乗組員、全乗客の命を預かってるんじゃない。 
 『板子一枚下は地獄』とは、昔から船乗りの不文律だ。たとえこんなお遊びでも、人生の厳しさを教えられる。   
 Yの親父さん、今でも元気してるだろうか?
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